
こちらの記事は、石川県珠洲市主催、株式会社パソナJOB HUB運営による「観光庁能登復興に向けた観光再生支援事業」の一環として企画した探究学習モニターツアーに参加した、当法人代表の萬里小路による体験レポートである。
震災・豪雨で大きな被害を受けた奥能登で、学びのフィールドを創造することを目的とした取り組みだ。
2025年12月10日〜11日の2日間にわたり、参加者と能登空港からバスで被災地域を回り、道の駅すず塩田村、シアターミュージアム、ノトハハソ、珠洲ホースパークなどを訪問し、地域のキーパーソンと対話した。宿泊は能登の里山里海を体験できる木ノ浦ビレッジのコテージに滞在した。

参加者は、首都圏や関西圏から8名が参加した。教育事業や旅行事業に関わる経営者や社会教育士、アートコミュニケーター、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部の学生起業家など、地域づくりや探究学習に関心を持つ面々が集まった。
地元のコーディネーターは合同会社CとHが担い、代表の伊藤氏は母が珠洲出身であることから移住し、珠洲市内で「OKNO to Bridge(奥能登ブリッジ)」というコワーキングスペースを共同創業者であり、珠洲出身の橋本氏と運営している。
伊藤氏と橋本氏らが参加者と地域のキーパーソンをつなぎ、珠洲市の現状や地域資源を紹介し、参加者それぞれが自社の事業や探究学習プログラムにどのように展開・応用できるかを探っていった。

能登半島北端の珠洲市がある能登半島は親指のような形をしており、日本海側の「外浦」と富山湾側の「内浦」に分かれる。珠洲は古来より、塩・陶器・漁業・農業で知られた土地で、大阪・北海道の往復が基本的な航路である北前船の寄港地でもあった。しかし、能登半島地震は海と山に囲まれた豊かな自然と独自の文化のあるまちに甚大な被害をもたらした。その8ヶ月後には記録的な豪雨による土砂崩れも追い打ちをかけ、集落は孤立した。
今回の行程では、初日に外浦側を巡り、2024年1月1日の能登半島地震で隆起や土砂崩れが発生した地域をバスで辿った。外浦は震災の影響で、地盤が最大4メートルも隆起したと言われ、沿岸部の地形は一変、家屋の倒壊と地割れによる道路寸断が起きた。
また、海沿いを走っていた国道が土砂崩れで寸断されたため、隆起した岩盤の上に新たな道路を敷いている。内浦側は2日目に巡り、外浦と比べると被害は少ないものの、道路は未だ交互通行が続き、復旧工事による渋滞が絶えない。

震災前に約1万2千人いた珠洲市の人口は1万人を切り、位置情報データで見る実質人口はそれより少ないと推測されているそうだ。奥能登4市町(珠洲市、輪島市、能登町、穴水町)の中でも、とりわけ珠洲市と輪島市の減少率は大きく、地震から1年ほどで約3〜4割の人口が流出したと言われている。特に、若い子育て世代は子どもの転校や生活基盤の不安から戻って来にくく、震災前は全学年で20人ほどいた大谷小中学校は現在、全校生徒が4人に減り、教師の方が多い状況である。
震災で倒壊した建物は多いが、将来の継ぎ手がいない家屋もこの機会に解体される流れがあり、珠洲市だけで約8,000棟を公費で解体した。人口と同じ数の建物が失われ、街には更地が広がりつつある一方、古民家を活用する従来の移住モデルとは逆に、住む家がないことが復興のボトルネックになっている。宿泊施設も数えるほどしかなく、今回宿泊した指定管理施設のような質の高いロッジは市内にほとんどない。

こうした急激な人口減少と住宅不足は、地域社会の基盤を揺るがす。復興の定義自体が揺れ動き、「元通りに戻す」のか「人口減少を前提に新しい暮らし方を模索する」のか議論は続く。山林の荒廃も大きな課題で、手入れが行き届かなくなった里山が水害を広げる要因となったため、多くの若者がチェーンソー講習を受けるなど、山の整備に取り組み始めている。
震災は確かに大きな痛手だったが、こうした課題に目を向けることで次世代の暮らし方を創造するきっかけになっている。特に、内陸と沿岸を結ぶ道路網の復旧や分散型のインフラ整備は、地域の持続可能性を左右する重要なテーマである。
奥能登は大都市から150キロ以上離れた地理的特徴に加え、高齢化率が50%を超える構造的な課題を抱えているため、復旧に必要な資材や人手の支援が遅れがちだ。しかし、その孤立ゆえに豊かな自然と文化が色濃く残り、里山・里海の魅力や伝統文化、揚げ浜式製塩など、独自の産業が大切にされている。
震災後、若者や移住者が地域に入り、新たなコミュニティやビジネスを起こす動きも出てきており、空き地や未利用資源を活用した「創造的復興」が求められている。この課題意識はツアーの至る所で語られ、参加者自身の学びの動機付けにもつながった。

珠洲市東山中町に拠点を構えるノトハハソは、クヌギやコナラを植林し、昔ながらの製法で炭を焼く循環型のものづくり企業。大野代表は、父が始めた大野製炭工場を2021年に法人化し、能登柞(ノトハハソ)へとリブランディングした経緯を語った。
社名の「ハハソ」は、クヌギやコナラなどの古名「柞(ははそ)」に由来し、繰り返し恵みをもたらす母なる森・祖なる森を表す言葉である。50周年を機に表記に改め、里山への感謝と職人の誇りを込めた。持続可能な里山の復活を目指し、社名のメッセージそのものが事業の芯になっている。
大野氏は、茶道用の木炭という高品質な炭づくりに力を入れている。茶道炭には火付きが良く、煙が出ないなど細かな規格があり、価格は一般的なバーベキュー用の輸入炭が1キロ約120円なのに対し、ノトハハソでは平均1キロ2千円、最高品質の炭は1キロ1万円で販売するそうだ。木の伐採・植林から窯での焼成まで、手間暇を惜しまず行い、規格外品はグリル用や囲炉裏用、さらにはコスメの原料や土壌改良材として活用している。

大野氏は「炭屋は森から始まる」と語り、自社でクヌギやコナラの苗木を育てて植林し、伐採して炭を焼くまで一貫して行う。10年後には50トンのクヌギを植え、やがて里山の生態系を整える計画を掲げる。里山の植生にとって葉の落ちる広葉樹の存在は重要で、地震後に雑木を植えた耕作放棄地では植物の種類が2倍に増えたと報告している。
大野氏はこれを「森のレジリエンスの回復」だととらえ、バイオ炭を農地や畜舎に入れることで、土壌改良や牛の健康改善につながるのではと示唆した。能登復興の鍵は、「100年先を見据えた里山の再編成」だと語り、「炭は単なる商品ではなく文化と環境の媒介である」と強調した。
能登半島地震で土と石の窯が崩れたため、金属製の窯に改修したり、新たな炭オブジェを開発するなど、新技術への挑戦も続けている。炭焼きは重労働で、体にこたえる部分はあると語りつつも、高品質な炭を通して里山と人の営みを継承し、地域の未来を拓きたいという強い思いが伝わってきた。
そこで大野氏が描く「炭焼きビレッジ構想」は、単なる製炭事業に留まらない大きなビジョンだ。当初、2040年までに100トンのクヌギを植える目標を掲げていたが、災害の影響で50トンへと目標を修正。

この構想は3つの柱で構成される。第1に、「茶炭の産地化」を進め、珠洲を茶道炭の一大産地に育てること。第2に、炭焼きの技術と森づくりの知識を次世代に伝える「人材育成」を行い、協同組合のような仕組みで働き手を確保すること。第3に、里山の信仰や祭りを復活させ「文化の創造」に貢献することである。
大野氏は植林を体験イベントとして行い、NPOと連携して耕作放棄地に7,000〜8,000本もの苗木を植えた実績がある。この取り組みは炭の原料確保だけでなく、ボランティアが集うことで交流人口の拡大や地域経済の活性化にもつながっていると語る。
こうした植林活動には科学的な裏付けもある。植え替えた雑木林では、放置された耕作放棄地に比べて植物種が約2倍に増え、多様性が高まることが学術調査で確認された。炭生産によるCO₂排出量と植林地の炭素固定量のライフサイクル評価では、2019年時点で年間61.7トンのマイナスを達成し、集落の30余人分の排出量をオフセットしていると説明。
この成果が評価され、植林地は環境省の「30by30」目標に貢献する自然共生サイトとして認定された。大野氏は、将来的に炭を燃料として使わない製品に活用することで長期的な炭素固定を図り、カーボンクレジットにつなげる構想もあり、環境保全と地域経済を両立するビジョンを示した。

さらに大野氏は、炭焼きに根付いた文化を未来へつなぐため、自ら火起こしの神事を復活させている。300年以上守られてきた「火の神」の火種を受け継ぎ、春の山菜採りや夏の昆虫採集・炭火バーベキュー、秋の祭りなど、四季折々の楽しみを織り込んだライフスタイルを提案する。神事では、娘が神楽を舞い、息子が石笛を吹くなど、家族も巻き込みながら新たな伝統を創り上げている。
こうした文化的な営みを支えるためにも、工場移転や新しい窯の設置を進め、震度5クラスの揺れでも生産を止めない体制を整えるべくクラウドファンディングも活用している。大野氏は「炭焼きを続けることがこの土地と文化への信仰につながる」と語り、森・人・文化を循環させるビジョンを示した。
地震で道路が寸断され、花粉症対策として杉林を皆伐できる法制度が整ったものの、大型トレーラーで木材を運ぶ作業は現在も停滞している。それでも彼は「道路が整い次第、広葉樹への植え替えを再開し、里山の再編成を急ぎたい」と意気込む。炭焼きビレッジは自然保護、教育、文化を併せ持つ未来型の里山づくりであり、ノトハハソの炭は単なる商品ではなく新しいライフスタイルへの入口なのだ。

震災当時の状況と避難所運営について、海から昇る朝日と海に沈む夕日の両方を眺望できる珠洲市大谷地区の区長会長・丸山忠次氏よりお話を伺った。2024年1月1日にマグニチュード7.6(最大震度7)の直下型地震が発生し、大谷地区では地盤が約2メートル隆起し、21人が亡くなった。
地震による崖崩れで、国道や山側の道路が寸断され、町は孤立。軽トラックで物資をリレーするなど、工夫して避難所に届けたが、震災前824人いた人口は同年9月には384人と半分以下に減少した。また、9月の豪雨で土砂崩れが発生し、追い打ちをかけるように復旧が遅れた。
震災時に避難所となった大谷小中学校は、耐震構造だったため建物は無事で、最大400人がブルーシートの上で雑魚寝する状態だった。救急救命士や看護師が外部から駆けつけ、トイレの掃除や高齢者のケアを手伝ってくれたおかげで衛生状態が保たれたという。電気は2週間後に復旧したが、水道は断水が長く続き、消防団が自衛隊に依頼して水を運んでもらった。
丸山氏は「避難所運営で最も重要なのは、現場をまとめる“ボス”の存在」と語り、消防団長で市議でもある川端氏が指揮を執り、行政の物資手配を受けながら、入居者の心に寄り添ったことで円滑な運営ができた。
被災者の心を和ませる工夫として、地域の青年団と婦人会が鯉のぼりを揚げ、5月には祭りを復活させた。丸山氏は「災害があっても、心まで荒む必要はない」と言い、住民が主体的に行事を企画することでコミュニティの結束を高めた。新たに流入した若者や移住者たちはNPOなどを立ち上げ、空き店舗を改修して子どもの遊び場やカフェを開き、住民同士の交流拠点を創出している。
しかし一方で、道路やライフラインの弱さは次の災害でも課題となり得る。丸山氏は防災対策として、物資を一箇所に集めるのではなく、分散型の備蓄と配送システムを整備し、陸路が使えない場合に備えた船や航空機の活用を提言した。また、地域の道路を補強することが復興の土台になると強調した。

続いて、珠洲に移住し、22歳の若さで起業した合同会社焼塩エイミーの北村代表からお話を伺った。長野県出身の北村氏は、高校時代に地域のゴミ拾いイベントを事業化し、スポンサーを集めて「イベントをするほど街がきれいになる」仕組みを構築した経験を持つ。
大学在学中に能登半島地震があり、災害ボランティアとして能登を訪れた際に、パートナーの自宅が流失し、土砂災害で家族が避難生活を送っている姿に衝撃を受け、「この地で安心して暮らせる未来をつくりたい」という想いから、起業を決意した。現在は、奥能登ブリッジのコワーキングスペースを拠点に、地域の若者や移住者と「森と食」をテーマに活動している。
森の分野は、戦後の国策によって杉が大量植林された能登では、手入れが行き届かない状況が起きている。そこで、北村氏は杉の枝葉や間伐材からティッシュペーパーを作るブランド「杉ヘール」を立ち上げる準備を進めている。ティッシュ製造時に出る微細な粉を回収し、マスクのフィルターやバイオ燃料として再利用するなど、森林資源を無駄なく使う設計を想定している。
小学校の裏山を遊び場に変え、アオダモやクヌギを植林するプロジェクトや、杉をペレットにして燃料として販売する仕組みも検討している。また、杉チップを街路樹のマルチング材として活用することで、木の香りや色合いを残しながら土壌保水力を高める効果も期待している。
食の分野は、ボランティアをしている際に出会った能登の「おばあちゃん」の手料理が地域の宝だと感じ、昔ながらの味を守る高齢女性たちにスポットライトを当てた「婆-1(ばあわん)グランプリ」という料理イベントを企画。参加者が各家庭のおかずを味わい、投票する仕組みを考案した。また、若者と共に耕作放棄地で米や梅、カボチャなどを育て、農山漁村振興交付金を活用して加工品を開発する計画を立てている。
現在は、「谷内のお豆腐」をトラックで週2回移動販売しながら、集落の高齢者と会話を行っている。さらに、ホースパークの馬に農作物や日用品を運んでもらう物流実験を計画しており、動物と人が協働する新しい生態系の創出にも挑戦している。北村氏は「経済的な価値と楽しさを両立させることが地域の持続性を高める」と語り、若者も高齢者もワクワクする未来を目指しており、その熱量の高さがとても印象的だった。

2日目は、珠洲ホースパークを運営するみんなの馬株式会社を訪問した。珠洲市出身の足袋抜代表は、元々はスキューバダイビングのインストラクターやカメラマンとして活動しており、世界農業遺産認定を機にUターンし、農業や宿運営を展開。現在は引退馬支援に取り組んでいる。元JRA調教師の角居氏と連携し、競走馬のセカンドキャリア・サードキャリアを生み出す施設を整備してきた。
競馬界では毎年約1万頭の競走馬が生産されているが、3歳夏までに1勝しないと引退せざるを得ない。現役のサラブレッドはF1マシンのように高価だが、引退すると一気に価値がゼロになってしまうそうで、このギャップを埋めるためにセカンドキャリア支援を始めた。
引退馬は年間約5千頭おり、その多くがペットフードなどのお肉になってしまう現状を変えるため、乗馬へのリトレーニングや企業研修、観光牧場としての活用を進めている。

珠洲ホースパークは、市が所有していた約1万5千坪の遊休地を利用し、人と馬が共生する森の放牧場として誕生した。海からのそよ風と木陰の下で放牧された馬たちと同じ時間を過ごせる場所であり、訪れる人々も心が癒やされることを目指している。入場料は中学生以上500円で、地元住民や会員は無料となっている。
足袋抜氏は、馬が人の感情を映し出す「ミラーニューロン」に注目し、馬と過ごす時間が自己認知やチームビルディングにつながると強調した。競馬で走る馬は人の指示に従うように訓練されているが、ホースパークでは再訓練を行い、馬の自主性を引き出す。
「馬は常に“今ここ”を生き、こちらの心の揺らぎを映す。自分の感情を隠せないので、企業研修で真のチームワークを学べる」と話した。研修ではリーダーシップやコミュニケーションだけでなく、日常生活で見過ごしていた感覚を呼び覚ます効果があるという。

また、牧場のオフグリッド化も進めている。震災でライフラインが途絶えた経験から、水は井戸で汲んで浄化し、簡易トイレや堆肥舎は循環型に改修した。ただし、馬の堆肥は栄養分が乏しく、分解に時間がかかるため、保水力や微生物の働きを高めて農地に戻す研究を進めている。
馬が増えるほど糞尿量も増えるため、堆肥の活用法は急務となっている。現在建設中の新しい馬小屋が完成すると、30〜40頭を受け入れられる見込みで、堆肥の循環を地域の農業と結び付けることを目標としている。
一方で、こうした取り組みには規制の壁も立ちはだかる。競走馬は現役時代は農林水産省の管轄だが、引退後は環境省や厚生労働省の管轄に移り、動物取扱業の規制によって「1頭に1馬房」の設置が求められる。欧米では「1ホース1エーカー(約4,000平方メートル)」が基準とされるが、日本では土地の維持が難しいため、珠洲では約1ヘクタールの土地で管理できる方法を模索している。

足袋抜氏は、法制度を踏まえつつ、馬のセラピー効果を生かした新たな役割づくりや、企業研修・教育プログラム・観光事業と組み合わせたサブスクリプション型のビジネスモデルを確立したいと話した。「ここは老人ホームではなく、ハローワークだ」と言い切る。馬が新しい仕事を身につけ、自ら稼ぐ仕組みを整えることで、引退馬を支援するだけでなく、地域社会や企業の課題解決に貢献する。そこに珠洲ホースパークの挑戦があると強調した。
経営面では、引退馬の預託料だけに頼らず、企業研修・宿泊プログラム・観光牧場という複数の収益源を組み合わせる仕組みを構築している。会員制度を設け、一般会員は500円で自由に場内を散策でき、トレッキングや餌やり体験などのプログラムも販売している。企業研修の受け入れは、12人程度が基本だが、将来的には遠隔地とオンラインで結ぶハイブリッド研修も検討中で、学生の合宿や修学旅行も20人規模で対応できる。
また、山間部の物資輸送に馬を活用する実証実験や、震災時に馬を使った救援活動も視野に入れている。足袋抜氏は「馬を飼うこと自体が目的ではなく、社会課題の解決にどう結びつけるかが重要」と強調し、馬と人が共生する未来像を描いた。

ツアーではその他にも、能登の伝統や文化を体感するスポットを巡った。
● 塩田村(道の駅すず塩田村) – 日本で唯一、揚げ浜式製塩法が残る仁江海岸の体験型道の駅。海水を塩田に撒き「かん水」を作って煮詰める製法で、約500年続く塩づくりの歴史や体験塩田がある。揚浜館では資料展示があり、珠洲焼や珪藻土コンロなど特産品も販売されている。
● スズ・シアター・ミュージアム – 廃校を活用したアート施設で、奥能登国際芸術祭の作品を常設展示。初日にランチをいただいた潮騒レストランは西部小学校のランチルームを改装したもので、坂茂氏設計の建物から外浦を一望できる。金沢を中心に活動するシェフ米田氏監修の料理は、珠洲の里山里海で採れた食材を用い、季節の味覚と最高の眺望を提供している。
● 蛸島の線路・駅 – 1964年に開業し、2005年に廃止された旧蛸島駅。現在は奥能登国際芸術祭の作品「Something Else is Possible/なにか他にできる」などが展示されており、廃駅とアートの融合が楽しめる。
● 道の駅すずなり館 – 珠洲の観光案内所と物産販売を兼ねた施設で、天然塩や珠洲焼、珪藻土コンロ、新鮮な野菜などがそろう。観光客の希望に応じた宿泊施設や体験プログラムの紹介も行っている。
● OKNO to Bridge(奥能登ブリッジ) – 珠洲市飯田町にあるコワーキングスペースで、都市部と奥能登をつなぐ橋渡し役を担う。会員制の施設は24時間利用可能で、企業研修やイベントの開催、二地域居住の促進などを目的とし、震災を経て新拠点で再開している。

ツアー最後の振り返りでは、参加者がそれぞれの気づきや今後の可能性を語り合った。以下はそのコメントを抜粋する。
● 「復旧と復興の定義を問い直す視点を得られた」
● 「熱量の高い人が集まることでムーブメントが起こると感じた」
● 「企業向け研修は、オーナー企業にアプローチするとより効果が高いと感じた」
● 「地域のキーパーソンたちは、自社の事業を単発的な取り組みではなく、地域を再構築しようとする面的な取り組みをしようとする姿勢に刺激を受けた
● 「まだまだ復興は途上だが、すでに多くのプレイヤーが未来に向けて走り始めており、そのプロセスを記録し、編集し、発信することに携わりたいと思った」
● 「能登のコンテンツの深さはとても価値があり、1つ1つの事業に人生をかける強さを感じた」
● 「職人の哲学が言語化されており、そのまま企業研修や学校教育に使えるエッセンスが含まれていると感じた」
● 「海岸清掃や馬とのふれあいなど、言葉だけで見ると一見地味な体験にも、どう切り取るか、誰に届けるかによって価値を変えることができると感じた」
● 「その魅力や価値を要素分解し、コンテンツを再編集することが重要だと思った」
● 「震災があったという現状から、未来へ向けたストーリーづくりがツアー構成の鍵であると感じた」
● 「被災地の破壊された風景、塩田やノトハハソ、ホースパークのような過去の伝統と未来への挑戦を組み合わせることで、参加者の心の動きを最大化できると思った」
● 「観光コンテンツが豊富な分、流れやテーマ性を明確にして感情の起伏を設計することで、関係人口の促進や移住につながると思った」
● 「単に観光コンテンツとして消費するのではなく、1つ1つの事業にフォーカスして、学びを深めたいと感じた」

参加者のコメントに対して、主催・運営もそれぞれの立場から想いを伝えた。CとHの伊藤氏と橋本氏は、「珠洲の元気な姿を見せたい」と語り、地域の復興はまだフェーズが様々で現地スタッフが自分のことで手いっぱいであることを正直に明かした上で、外部から「こう手伝える」という具体的な提案をもらえると助かると訴えた。今回のツアーはあくまできっかけに過ぎないため、これからも関係を続けて新しいアイデアを一緒に実現してほしいと呼びかけた。
運営を担ったパソナJOB HUBの野島氏は、参加者の問いの深さに感動したという。教育に詳しくない自分でも、質問の数や質が学習意欲を高めることを実感し、珠洲には自然と問いが生まれる環境があると感じることができた。ノトハハソの大野氏や珠洲ホースパークの足袋抜氏が自らの探究心から事業を生み出している姿を見て、子どもからビジネスパーソンまで「問いを抱えて帰る」研修の場として珠洲を広めたいと語り、多くの人を連れて来られるよう連携を提案した。
珠洲市観光交流課の川角氏は、2日間のプログラムを通じて、震災を乗り越えたからこそのコンテンツの深さを実感していただけて、「私たちも胸を張ってこの観光コンテンツを活用したい」と語り、今後も珠洲を訪れていただき、外の視点で意見を届けてほしいと呼びかけた。
最後に、同じく観光交流課の田中氏は、今回のモニターツアーはあえて意図などを詳細に伝えず、参加者自身に感じてもらうことを重視したと明かした。多様な視点が現地にとっても示唆となり、より多くの人に訪れてもらえる材料にできればと思うので、今後も珠洲のことを気にかけてほしいと締めくくった。

今回の探究学習をテーマにしたモニターツアーでは、震災の傷跡とそこに芽吹く新芽のような活動が交錯する現場を歩き、里山里海の資源と人の知恵が紡ぎ出す未来像を体感することができた。
ノトハハソの炭づくりは、植林から炭焼きまで一貫した循環をつくり、茶道炭という高付加価値商品で里山経済を支える。焼塩エイミーは、杉チップやアオダモの植林、伝統料理のイベントなどを通じて、森と食の循環と、若者と高齢者が参加できる仕組みを描く。珠洲ホースパークは、引退馬の新しい役割を模索し、馬を通じて人の感情を映し出し、企業研修や教育の場として活用しながら、自律分散型の牧場経営を進めている。

これらの事業は単なる観光コンテンツではなく、災害からの復興・復旧と同時に、新しいライフスタイルや働き方を提案している点で共通している。人口減少で空き地が増える現状を逆手に取り、炭や馬、杉チップといった無形資産を組み合わせて新たな価値を創造すること、地元の料理や祭りを他地域の企業課題や教育課題とつなぐことこそが探究学習の醍醐味だと気づかせてくれた。
また、一見単純に見える海岸清掃や厩舎掃除も、自然や動物と向き合うことで、自分の感情やチームの関係性に気づくきっかけとなり、深い学びへと昇華することが示された。ツアー構成としては、震災前の歴史と震災後の現状、そして未来へのビジョンを連続性のあるストーリーとして伝えることで、参加者の感情の動きを最大化できるかもしれないという言葉もあった。

珠洲市には、揚げ浜式製塩法や珠洲焼、奥能登国際芸術祭の作品群、空き家を活用したコワーキングスペースなど、学びの素材が豊富に揃っている。しかし、それらの価値は、言葉だけやそれ自体だけでは伝わりにくい。今回のモニターツアーは、キーパーソンが自らの体験や哲学を言語化し、参加者がその背景まで踏み込むことでコンテンツの深さに触れられる仕組みだった。
探究学習は「答えのない問い」に挑むことで始まる。災害の復興も、人口減少、高齢化、自然災害という難題も、地元と来訪者が共に問いを立て、資源を再編集し、未来を共創するプロセスそのものが学びにつながる。珠洲の魅力と課題を自分ごととして捉え、次の世代に継承するための探究学習のフィールドとして奥能登にぜひ訪れていただきたい。
取材・執筆:萬里小路 忠昭