
Local Quest Labの活動拠点である山梨で活動する人・企業・団体等へのインタビューを通じて、地域内外の人たちに「関わる」「暮らす」「働く」「旅する」「学ぶ」のきっかけ(接点)と地域とのつながり(循環)をつくるプロジェクト「Local Quest YAMANASHI」。
今回は、山梨県都留市で不動産業とシャトレーゼのフランチャイズを営む有限会社ひまわり不動産の中野雅基さんにインタビューをした。
「不動産業は人がいないと成り立たない」という危機感を原動力に、まちへの関わりをじわじわと広げてきた。
「自分の子どもが大きくなった時に、ここで働いてもいいかなって思える場所にしたい」
その根本にある思いとともに、都留のまちに"きっかけ"をつくり続ける中野さんの話を聞いた。
中野 雅基(なかの まさき)さんのプロフィール
都留市生まれ・育ち、大学卒業後に住宅メーカーにて営業に従事。その後、家業である有限会社ひまわり不動産に入社し、2代目として約10年。青年会議所(JC)への参加を機にまちづくりへの関与を深め、大学生との地域活動、そして今、仲間と立ち上げた古民家再生プロジェクト「谷村COMMONS」のコアメンバーとして、都留市の地域拠点づくりに取り組む。

中野さんは、笑いながらそう切り出した。大学時代は歴史を専攻し、バンド活動に明け暮れた。就職活動は苦戦続きで、卒業の1ヶ月前にようやく住宅メーカーから内定をもらった。ちょうど東日本大震災が起きた2011年のことだった。
都留市に生まれ育った4人きょうだいの長男として、頭のどこかには「家業を継ぐのかな」という意識があった。父親が40代の頃に独立して始めたひまわり不動産は、当時すでに25年近く続く会社だった。親から直接継いでくれとは言われてなかったが、なんとなくやるのかなって漠然と思っていたそうだ。

就職先に住宅・不動産系の業界を選んだのも、その意識が働いていたのかもしれない。就職した会社では住宅営業を担当。毎年リセットされる数字、なかなか売れない月、営業実績への厳しいコミットが求められる日々。
「社会の洗礼を受けつつ、いろいろ勉強させてもらいました」と振り返る。それでも、成約に至った時のお客さんとのつながりは今も続いていて、「やっぱり人とのつながりって大事だなと感じた営業職でした」と語る。
数年後、これ以上やっても同じ形が続きそうだと感じ、家業であるひまわり不動産に入ることを決めた。「大きなきっかけがあったわけじゃなくて、流れというか……恥ずかしいところですけど」と苦笑いするが、結果としてその"なんとなく"は、今の中野さんをつくる起点になった。

家業に入った当初は、決して楽な状況ではなかった。
ひまわり不動産のルーツは、祖母の代から続く学生寮の経営にある。父親が持つ農地にアパートを建て、家賃収入で会社を回す形が長く続いていた。そのため、会社として利益を出す仕組みがほとんど整っていなかった。
「自分の給与を捻出するところから始まったんですよ。年収300万円、400万円を取り出したら会社があれっていう状態で」
ホームページをリニューアルし、前職で身につけた土地の売買ノウハウを活かして少しずつ仕事を作り、10年でようやく「飯が食えるようになった」と感じるところまで来た。

そうした苦労の中で、ある問いがくっきりと浮かんできた。
「不動産業って、人がいないと成り立たない仕事なんですよね。このまま何もしないで飯を食っていくっていうのは、考えられなかった」
空き家は増え、地元にある都留文科大学の学生は卒業すると市外へ出ていき、商店街のシャッターは一枚、また一枚と下りていく。そういう流れを放置していたら、いずれ自分の仕事も立ち行かなくなる。
「地域自体が少しずつでも良くなっていかないと、結局食いっぷちがなくなっちゃうっていう風には思ってたんです」
その危機感は、単なる経営上の話ではなかった。中野さんが都留という故郷で仕事を続けることへの覚悟と、その場所への愛着が入り混じっていた。その思いが、次の一歩を踏み出させた。

家業に入って2〜3年が経った頃、中野さんは青年会議所(JC)への入会を決める。
「自分が住んでる場所だから、何かしらやっていきたいっていうのは思ったんです」
ただ、父親には「お金も時間も取られるから・・」と反対された。それでも「自分で決めたことだから」と押し切り、かれこれ7〜8年が経つ。
JCでは、都留文科大学の学生たちと地域の人をつなぐ交流事業を企画した。自らプロジェクトを作り、発信して参加者を集め、フィードバックを受けて次につなげる。そのプロセスを毎年繰り返す団体の中で、中野さんは新しい感覚に出会った。

「お客さんとして関わるんじゃなくて、一緒に上がっていくっていう形を体験させてもらったんです」
学生と関わる中で気づいたのは、チャレンジするきっかけさえあれば、若者は動き出すということだった。
「学生時代に、なんかこの人面白そうだなっていう人と出会うとか、そういうきっかけがあると、ああこういう方法あるのかなって動くきっかけになると思うんですよ」
自分自身がなんとなく生きてきたからこそ、そのきっかけの価値を痛感していた。そして、不動産の「箱」を使ってそのきっかけを作れたらいいなと、そんな構想が頭の中でじわじわと育ち始めた。
「この場所を使ってやった、っていう実績がある。そうするとまた帰ってくる理由にもなるし、来るきっかけにもなるんじゃないかな」と思ったそうだ。

その構想が現実の形を帯び始めたのは、東京から都留へ移住してきた矢野さんという方が主催する「谷村ミーティング」に足を運んだことがきっかけだった。
都留市の歴史と文化を象徴する谷村地区を何か面白くしたい、何かやりたいという人を月に1回集め、場所を変えながら話し合う会。「なんか面白そうだな」と思って参加したら、隣に佐藤さんという方がいた。佐藤さんは地元の企業・モールドモデルの2代目で、学生や若者が地域と関わりながら起業や新規事業に挑めるシェアハウスを作りたいと話していた。さらに、徳島など全国のまちづくり拠点を見て回ってきた設計士・山口さんという方も同じテーブルにいた。
「本当にたまたまなんですよ。でも、自分のやりたいことと一致してて」
その偶然の出会いが、「谷村COMMONS」プロジェクトの始まりだった。中野さんも含めた4人がコアメンバーとなり、物件探しを始めた。そこへ、谷村地区のとある古民家のオーナーから手放したい話が舞い込んできた。
谷村地区は、戦国時代に小山田氏が谷村城を築城した城下町の跡地にある。映画館が2軒あるほど賑わっていた旧商店街は、約100年前の谷村大火でほぼすべて焼失した。今も残る築100〜150年の古民家と蔵は、その大火を生き延びた数少ない建物だ。

「そういった歴史的な背景やストーリーがある面白い場所で、ここでやってみようってなったんです」
2025年7〜8月頃から、週1〜2週に1回のペースでゴミ出しワークショップを開始。生活雑貨を片付けながら地域の人も巻き込んで、関わりしろを作っていった。その後、蔵から出てきた品々を並べた蚤の市、地域内外の人を集めた食事会、都内の学生を交えたまち歩きやフィールドワークも実施した。
「動かしながらなので、これが正解なのかどうなのか全然わかってないんですよ。でも正解はないと思っているんです」
そう言いながらも、次の絵は着々と描かれている。蔵を宿泊施設に、母屋2階をシェアハウス・シェアスペースに整備し、2026年中の稼働を目指している。コンセプトには「職+食+住+遊を軸に人の、まちの、暮らしを楽しくアップデートする実験創造空間」を掲げ、次の100年を創るアート・サイエンス施設という場だ。

「都留はなんにもないし、飲むところもないし、遊ぶところもないって、地元の人からよく聞くんですよ」
でも、中野さんは、そこに可能性を見ている。
「なんもないんだったら、自分たちで作れるよって言いたいんです」
その話の流れで、Local Quest Labが山梨県内27市町村の観光まちづくり調査をしている中で、何もないから通過されてしまう課題感がどの市町村にもある話をしたら、中野さんはすかさず反応した。
「県内の多くの市町村が、通り過ぎられちゃうっていう課題、都留も間違いなく当てはまりますよね」
通過する人をどう立ち止まらせるか、それはどの自治体にも共通する問いだが、その答えは「観光スポットを増やすことじゃない。ビジョンがあるかないかで決まる。それと、スポットより人との時間の質だと思うんです」と中野さんは言った。

その流れから、都留の"ならでは"は何なのかという問いに至った。中野さんが語ったのは、このまちの人の気質だった。
「城下町だったという部分があるのかはわからないんですけど、外から来る人に抵抗がないんですよ。わりかし、フレンドリーに受け入れるまちだと思っています」
自身が青年会議所に入ったばかりの頃、父方の祖父もJCに入っていたことが分かった。
「もうその時点で、孫って感じで、仲間みたいになるんです。入った当初からそうで」
知り合いの知り合いというだけで、距離がぐっと縮まる。顔見知りがまちの中に転々といる。その居心地の良さこそ、都留独自の財産だと感じている。

「人のつながりはやっぱり欲しいじゃないですか。そういう環境があるっていうのは居心地がいい」
だからこそ、外からやってきた人がその輪に触れた時、「またここに来たい」と感じる体験が生まれる。谷村COMMONSに来た人と、別の日に来た地域の人が、共通の知り合いの話で盛り上がる。そんな偶然が積み重なったとき、この場所はただの建物ではなくなる。
「行政に補助金を頼ってっていうんじゃなく、自分たちで流れをつくっていかないといけない。地元の人が奮い立たないと、この場所って良くならないと思っていて」
その確信が、中野さんを先陣に立たせている。

中野さんの構想は、谷村COMMONSの建物の中だけに収まらない。
「宿泊ってすごくフックになるんですよ。泊まってくれた人を、ちょっとずつこのまちの仲間にしていって、谷村の商店街を歩くきっかけにしてもらって、そこから転々とお店が増えていく。そういう絵を描いているんです」
空き店舗のシャッターが少しずつでも上がり、人の流れができ、お店が成り立つまちになる。
「最終的には稼げるまちにしていかないといけないんです。経済の流れを自分たちでつくる」という、不動産業者として空き家や空き店舗の活用に関わり続けてきた中野さんならではのリアルな目線だ。
また、自身が運営するシャトレーゼ経営で培った店舗運営のノウハウや余剰資源の最適化を活かした、コモンススペース兼セルフカフェの構想も温めている。そして、地域の会員システムと連動させることで、利用者が月会費を払う以上の付加価値(店舗連携サービスや特典など)を還元できる仕組みをつくる。
人口減少が進む地方でのシェアスペース運営の難しさを熟知しながらも、ただコピーするのではなく、ここにしかできない組み合わせで勝負しようとしている。

「もやっとしてる人、都留なんもないじゃんって思ってる人の方が、可能性があるかもしれない」
そう言って、中野さんは続ける。
「じゃあ何が欲しいの?って聞いて、これが欲しいって言ったら、じゃあうちと一緒に試しにやってみない?っていう風に言いたい」
特定のスキルや属性を求めるのではなく、やりたいことのきっかけを一緒に探す。それがこの場所の使い方だと考えている。
「まずはやってみる。やってみると案外なんとかなるし、意外とできちゃったりする」
その言葉は、自らの経験から来ている。なんとなく育ち、なんとなく家業に入り、なんとなくJCに飛び込んだ自分が、気づけば地域の古民家をひとつ再生しようとしている。「やってみたら案外できちゃった」の連続が、今の中野さんをつくっている。

そして、すべての根っこには、子どもたちへの思いがある。
「自分の子どもが都留で働いてもいいかな、ここに残って関わってもいいかなって思えるような環境をつくっていけたら良いかなと思って。一番身近な存在が、根本にあるんです」
6歳と2歳の子どもたちを、時にゴミ出しワークショップに連れていく。本人が意思を持ってきているかはわからなくても、「関わっているうちに、ああ面白い人が集まってるな、行ってみたいなってなってくれれば」と笑う。
谷村の蔵には今、まだ足場の空気が漂っている。けれど中野さんが灯しつづける小さな"きっかけ"の火は、確かにそこに揺れている。「地元の人間がやらないと意味がない」という言葉の重みを背負いながら、都留のまちに向き合う2代目の挑戦は、ここからが本番だ。

取材の後半、「センス・オブ・ワンダー」という言葉が話題にのぼった。レイチェル・カーソンが提唱したこの概念であり、子どもの頃に感じた忘れられない体験や驚きがその人の地元への意識を形づくるのではないか、という話だ。
「中野さんにとってのセンス・オブ・ワンダーって何なんでしょうか」と聞いてみると、少し考えてから「川ですかね」と答えてくれた。小学生の頃、都留の山奥の川で、自然の滑り台のような場所から飛び込んだり、ニジマスを手掴みで捕まえたりして遊んだそうだ。オープンな観光地でもなんでもない、道路脇にひっそり流れるその川で過ごした時間が、都留という場所への感覚を育んだのかもしれない。
そして、中野さんが「谷村COMMONS」でつくろうとしているものは何か。それは、宿泊施設でも、コワーキングスペースでもなく、突き詰めれば「この場所でしか生まれない体験」なのではないかと感じた。100人という大人数を集めることよりも、そこに来たたった1人の人生にとって忘れられない時間になること。地域の誰かと偶然出会い、会話が生まれ、「またあの場所に戻りたい」と思わせる何かを残すこと。
「まずやってみる」という中野さんの言葉は、シンプルだけれど力強い。なんとなく育ち、なんとなく家業を継いだかもしれないが、地域の未来に向けてビジョンを描いて動き出している。その"なんとなく"の積み重ねの先に、子どもたちへの本気の思いがあるのだ。
自分の子どもの最も身近な大人が、楽しそうに地域に関わっていること。それ自体が、次の世代のセンス・オブ・ワンダーになるのかもしれない。
中野雅基さん・ひまわり不動産・谷村COMMONSに関する情報はこちら
ひまわり不動産:https://estate.himawari.tv/
谷村COMMONS Instagram:https://www.instagram.com/yamura_commons/
取材:鈴木斗樹
執筆:萬里小路 忠昭
取材日:2026年7月17日