【インタビュー|小久保千夏さん】"人に会いに行く"からはじまった地域との接点――海のまちから山の麓へ。居場所を探し続ける物語

Local Quest Labの活動拠点である山梨で活動する人・企業・団体等へのインタビューを通じて、地域内外の人たちに「関わる」「暮らす」「働く」「旅する」「学ぶ」のきっかけ(接点)と地域とのつながり(循環)をつくるプロジェクト「Local Quest YAMANASHI」。


今回、山梨県富士吉田市に暮らし、働く小久保千夏さんにインタビューをした。東京での10年以上の仕事生活を経て、海のある小さな町へ、そして今は富士山の麓・富士吉田へ。

彼女の話には「人」という言葉が何度も出てきた。名所や名物のことを語る前に、必ずその土地で出会った誰かの顔が浮かぶのだという。「人に会いに行く」ことを軸に、暮らしと働き方を選び直してきた変遷を、たっぷりの実感とともに語ってくれた。

埼玉県生まれ。就職と同時に上京し、18年間音楽業界に身を置く。2021年静岡県沼津市戸田に移住、その後、2024年に山梨県富士吉田市へ拠点を移す。


東京で18年、気づいた“好きの根っこ”

音楽業界の裏方として約18年。昼夜や休日の境目が曖昧な現場で走り続けた20代と30代前半は、やりがいと同じくらい、無理も抱え込んでいた。転機はコロナ禍。家に留まる時間が長くなり、そこで初めてはっきりとわかったことがあった。

「自分は人と関わって、一緒に何かをつくるのが好きだ」ということだ。だが同時に、心身の不調が重なり「このまま10年、20年と同じ働き方を続けるのは難しい」とブレーキを踏む感覚も訪れた。そこから、“業界を出る”という大きな決断へ舵を切る。

「移住する」というより、“動いてみる”という選択

はじめは自分も家族も驚くような離島生活を真剣に思い描いた。移住相談会に参加し、有給休暇を使って実地で島を巡った。けれど、距離の現実とひとりで暮らすことへの不安が拭えず再考する。

そこで浮かび上がったのが3つの軸だ。人と関わる仕事、実家がある埼玉から遠すぎない場所、そして海に近い暮らし。そうして辿り着いたのが、西伊豆の小さな入江にあるゲストハウスの求人だった。

「まず遊びにおいで」と言われて訪ねると、そこで出会った人たちの生き方に衝撃を受けた。パソコン1つで拠点を持たずに働く人、複数の町を股にかける人など。「自分が見てきた“世界”は思っていたよりずっと狭かったんだ」と気づかされた。2度目の訪問で「ここでやってみよう」と腹が決まる。

海のまちで学んだ、顔の見える関係

小さな町での暮らしは、東京で失いかけていた感覚を呼び戻した。顔を合わせれば名前で呼ばれ、車のナンバーまで覚えられるくらいの距離の近さは、時に煩わしくも、同時に確かな“見守られ感”をくれた。宿のスタッフとして「どこがおいしい?」「どこに行けばいい?」と聞かれれば、ちゃんと答えたい。

その思いから、最初の半年で地元の店やスポットを一気に歩いて覚えた。通ううちに“常連”になり、常連さんが会いに来てくれる関係も生まれていく。そこで学んだのは、地域に住む人を大事にすること、訪ねてくれる人を同じように大事にすること。当たり前だけれど、働きながら体で覚えたルールだった。

「人に会いに行く」旅路は、海から山へ

やがて「一度動けたなら、次も動ける」と思えるようになった。西伊豆で働く中で、いろいろな国の方々との出会いによって、海外にも興味を持ち始め、海外の文化に触れてみたい!と、英語も話せないのに思い切ってオーストラリアへ1人旅をした。

言葉の壁の高さも感じたが、それ以上に、人の優しさと“なんとかなる”手応えが強く残った。「日本語が通じる日本なら、どこでも生きていけるかも」と。その感覚が、次の移動の背中を押す。

次に向かったのは、富士山の麓・富士吉田。湖があり、川があり、埼玉からも行きやすい。ここでも入口は“仕事”だったが、決め手はやはり、行ってみて出会った人と空気だ。結果的に、西伊豆にも友人ができたことで、「海」と「山」の間を行き来する生活圏が自然と広がっていった。

富士吉田で出会った“壁の薄さ”

富士吉田とその周辺に来て、まず驚いたのはコミュニティの“壁の薄さ”だった。誰かが「料理するから飲みにおいで」と声をかければ、業種も年齢もバラバラな人たちが軽やかに集まる。

主催者の気さくさに引かれて、新参者もすっと輪に入れる。内輪に閉じない「いつでもウェルカム」の空気は、少し人見知りで緊張しがちな彼女の背中をそっと押し、行けば必ず何かが始まる実感をくれた。

「既存の強いコミュニティがある地域もある一方、富士吉田や富士河口湖は複数の小さな輪が緩やかにつながり、出入りが自由な印象がある」という。「媚びないオープンさ」とでも言いたくなるあの感じ。それが今の自分には心地いい。

0→1より、1→10。自分の役割の見つけ方

「自分はゼロから事業を生むタイプじゃない」という。誰かが始めたものを一緒に育て、広げ、支えることに喜びを感じる。音楽業界で培った段取り力や気配りは、現在の宿の現場でも生きた。動けば動くほど会いたい人が増え、帰りたい場所も増える。その循環が、今のモチベーションの源だ。

「素敵な名所やおいしい名物があっても、そこで会う人が残念だと、その土地にもう行かなくなる。逆に、あの人に会いたいから、また行くと思わせるのも人だと思う」

だからこそ、自分は“誰かのまた来たい”をつくる側でありたい。宿で働く今、その思いは一層強くなっている。

言葉のもどかしさと接客のよろこび

現在、働く宿は海外からのゲストが多く滞在する日もある。定番のやり取りや案内は英語でこなせるようになったが、雑談で距離を縮めるあの感覚がまだ掴みきれない。もっと目の前の人の“今日”を聞いて、相手の旅の余白を膨らませたい。

そのもどかしさは彼女の学びたい気持ちを刺激する。改めて、接客や人との関わりが自分にとって大事なことだと実感する。だからこそ、休日には人と話す時間を意識的に増やしている。

「誘いは断らない」——輪は意志で広がっていく

富士吉田に来てからは、「お誘いは断らない!」を自分のルールにした。誰かの家での小さな集まりも、前日に決まった急な飲み会も、行けば必ず何かがある気がする。そこで出会った人とまた別の日に出かけ、別の輪へ連れて行ってもらう。そうやって広がった関係は、気づけば生活の核になっていく。

「会いたい人がいて、行きたい場所がある」ことが幸せだと、心から思える。「何もしない休み」は少しこわい、と笑う。そわそわして外に出てしまう性分は、音楽業界時代に培われた即応性と、海のまちで身についた“顔を上げて歩く”習慣の合わせ技なのかもしれない。

ここからの話——“居場所”を育てる

富士吉田に来て1年と少し。永住を即決するわけでも、次の土地を急ぐわけでもなく、「まずはここで根を張りたい」と話す。広がってきた縁を深くし、暮らしを安定させ、自分の“居場所”をゆっくりと育てていく。その形はお店かもしれないし、誰かのプロジェクトを支える関わり方かもしれない。答えはまだ途中だが、「人と関わること、サポートすることが好き」という地盤は、確かに固まってきた。

「名所や名物より、結局“人”でまた行きたくなる」。その価値観は、海のまちでも、山の麓でも、変わらずに彼女の選択を導く。だから、自分も“会いに行きたい人”でありたい。誰かの旅の記憶に、帰りたい場所の理由として残るように。

余白としての“土地”を楽しむ

海から山へ移ると、まちの「テンポ」も変わる。 揺れる水面を眺めながらゆっくり過ごす時間、富士山を眺めながら淹れる一杯のコーヒーで始まる朝、どちらも捨てがたい。どちらのリズムにも、自分の呼吸が馴染んでいく感覚が楽しい。カフェの扉を開ける時、店主の「お、今日も来たね」の一言に体温が上がる。そんな瞬間の蓄積が、土地との関係を静かに深めていく。

それでもフットワーク軽く動くにも、生活と仕事の現実がついて回る。経済面の段取り、健康管理、そして“根を張る”ための覚悟。けれど、海のまちで見た多様な働き方、山の麓で出会う自由な生き方の数々は、「選びようはいくらでもある」と教えてくれた。自分がどこに身を置くかは、自分で選んでいい。その確信があれば、迷いもまた前に進むための力になる。

終わりに——“また会いに行く”約束

取材の最後に、「いま一番楽しいことは?」と聞くと、彼女は少し困った顔をしてから照れ笑いをした。「友達に会いに行くこと、カフェ巡り、仕事終わりの飲み会、かなぁ…どれも幸せで大切な時間」だという。

そこに“人”がいて、会話がある時間が好きなのだ。だから私たちはきっと、また彼女に会いに行くだろう。富士山の裾野のどこかで、コーヒーの湯気の向こうに、彼女の笑顔が見える気がする。

「誰かの“また来たい”をつくる人でありたい」。そう繰り返す彼女の言葉は、取材が終わった帰り道、思いのほか長く胸に残った。私たちもまた、その言葉に導かれるように、彼女のいる町へ足を向けてしまうのかもしれない。


<小久保千夏さんに関する関連リンク>
Instagram:https://www.instagram.com/chinatsuko722/


取材:鈴木 斗樹
執筆:萬里小路 忠昭

一般社団法人Local Quest Lab

〒401-0303

山梨県南都留郡富士河口湖町浅川1082-3
HOURAI Bild 4F