
Local Quest Labの活動拠点である山梨で活動する人・企業・団体等へのインタビューを通じて、地域内外の人たちに「関わる」「暮らす」「働く」「旅する」「学ぶ」のきっかけ(接点)と地域とのつながり(循環)をつくるプロジェクト「Local Quest YAMANASHI」。
今回は、山梨県山中湖村の地域おこし協力隊として活動する川村早紀さんにインタビューをした。
大阪出身、横浜での暮らしを経て、2025年6月に地域おこし協力隊に着任し、山中湖村へ移住。
花の専門学校で学び、都内の花屋でウェディングや企業パーティーの装花を手がけてきた彼女が、なぜ山中湖という土地を選んだのか。ダリアの栽培・SNS発信・コミュニティ運営と多岐にわたる活動を通じて、山中湖村を「花の村」にしようとする川村さんのストーリーに耳を傾けた。

川村 早紀(かわむら さき)さんのプロフィール
1997年大阪府生まれ。お花で地方創生をしたい村があると聞き、知り合いゼロの状態から、山梨県・山中湖村へ移住。現在は地域おこし協力隊として地方創生の仕事をしながら、花の栽培や地域活動、SNSで山中湖村の魅力を発信中。
「なんか飽き性なんだけど、それだけは飽きずに好きだったかなって」
そう笑いながら話す川村さんが花と出会ったのは、幼稚園にまでさかのぼる。砂遊びをしていても花を摘んで家に持ち帰る。母の日には当然のように花を買う。「なんとなく家にお花が飾ってあるのが普通」という環境の中で育ち、気づけば花はいつも身近な存在だった。転機が訪れたのは中学生のとき。
「日本人だし、"道"のつく習い事をしたらかっこいいかな」と漠然と考えていたとき、親から華道を勧められた。「たしかに」と思いながら始めた華道は、その後の人生の中心軸になっていく。高校では華道部に入部。この時の講師の方との出会いが、花への造詣をさらに深めた。
「花の歴史をさらっと教えてくれたり、長さを切りすぎた花をその長さのまま違う形に生けなおしたり。なんか造形的なことも一緒に教えてくれる講師の方だったから、そこで好きはだいぶ深まった」と振り返る。
華道の魅力を尋ねると、「与えられたお花を与えられた器に生ける。ただそれだけなんですけど・・」と前置きしつつ、「フラワーアレンジメントとはまたちょっと違う、引き算的な美しさがあって。生ける人によって雰囲気がだいぶ変わっていく面白さがある」と語ってくれた。

高校卒業後の進路を考える段階になって、その選択肢の中でも一番「好き」になっていた花。そのまま花の専門学校へと進んだ。「『好き』を仕事にできたら幸せなんだろうなと、安易な考えのもと」と本人は笑うが、入学後は小売り店の花束づくりから国家資格の取得、デザイン学入門やドイツ語まで幅広く学ぶ充実した時間を過ごした。
専門学校を卒業後、都内のホテルテナントに入っている花屋に就職。ウェディングや企業パーティーの装花を主に担当した。打ち合わせから新郎新婦へのプレゼンまで仕事のうちに入り、SNSの口コミなどがきっかけで「川村さんに担当してもらいたい」と指名が来るようになった。
「好きな気持ちもありつつ、競争の中にも置かせてもらって。花を生ける以外で人に喜んでもらう。この人に担当してもらいたくて来ました、って言ってもらえたのは、花を通じて得られた新しい幸福感だった」と当時を懐かしんだ。
一方で、残業も多い仕事でもあり、楽しいけど長くは続けられないと感じ、3年で退職。専門学校時代の友人も似た状況だったことで意気投合し、2人でフリーランスの花屋をスタートした。マルシェへの出店、InstagramのDMからの受注、会場装飾の依頼という3本柱で、関東圏を中心に約5年活動した。
山中湖村に来てから周りに、「なんでそんなに花が好きなの?」とよく聞かれて、ふと「お花以外何があるんだろうか」っていうことにも気づいたのだった。

山中湖村との出会いは、まったく予期せぬ形でやってきた。
「転職しようとしていたわけではないけど、自分のこれまでをまとめておこう」と、ビジネスSNSに花屋の実績やウェブライターとして書いた地方創生の記事、介護施設でのアレンジメントワークショップの実績などを掲載していた。すると、それを見た企業から突然スカウトメールが届く。
「山中湖村で、お花で地方創生をしようとしているんですけど、興味ないですか?」何の前触れもなく連絡が届いた。その時、住んでいた物件の2年更新も迫っていた。もともと転勤族の家庭で育ち、新しい環境への抵抗はほとんどない。「全部のタイミングがうまくはまりすぎて、行くしかないのでは?みたいな気持ちになっていた」と振り返る。

まずは連絡をしてくれた企業とオンラインで話し、2025年2月に初めて山中湖村を訪れた。来た瞬間に見た富士山のデカさにまず圧倒された。「ここに住むの?」っていうのが一番の衝撃だった。
村内を車で一周し、高い建物がなく、観光地でありながら派手すぎず、自然が身近な環境に心が動いた。ここで花を育てるんだって思ったとき、いい想像しか浮かばなかった。
「新しい環境に行くことに全然抵抗感はないけど、とはいえちょっと不安が・・みたいな選び方じゃなくて、本当に直感的に。この自然とコンパクトさと、自分に映る山中湖の静けさがはまって、ここに住みたいってなった」という。
その後、3月に山中湖村との地域おこし協力隊の面接を経て、移住を決断。住んでいた物件の更新期限が5月末、着任日が6月1日と、タイミングが奇跡的に合った。こうして川村さんの山中湖村生活が始まっていく。

着任してからの活動は主に3つ。ダリアの栽培と市場出荷、Instagramを通じた山中湖村の魅力発信、そしてLINEオープンチャットを使ったコミュニティ運営である。
なぜ、山中湖村でダリアなのか。「近年、首都圏でダリアの需要がめちゃくちゃある。涼しいところでの栽培に向いている。距離的にも都内に届けやすい。この全部が山中湖村と合ったから」という。
山梨県が東京都にある大田市場と連携して、花の産業を盛り上げる動きの中で、山中湖村が最初に手を挙げた。
着任した夏から12月にかけては、畑でのダリアの育成・収穫・梱包・出荷に加え、Instagramのリール動画を制作・投稿するのが日課だった。村役場から「もっとPRできたらいいんだけど」というオーダーもあり、「じゃあインスタやってみます」と始めた。「私から見た山中湖村」をテーマに、花のことだけでなく村での暮らしも発信している。

そんな中、忘れられない経験があった。ある日の仕事で、市場に出荷できない規格外のダリアを大量に廃棄することに。茎が太すぎたり、雨が降って翌日には満開になってしまったりと、タイミングが合わずに出荷できない花が後を絶たない。
「めちゃくちゃ綺麗なのに、今お花屋さんに並んでても何の遜色もないのに、市場を経由すると収穫してから日数がどうしてもかかり、市場の品質基準を満たせず、捨てなきゃいけないものも出てきてしまう。なんか、何してるんだろうと思った」という。
なんとかしたいと、SNSで発信したところ、多くの人に届いた。地域おこしの活動の一環として、規格外のダリアを販売したい。役場に企画書を持っていった。許可が下りるまで1ヶ月。その間も花を捨て続けなければならなかった。
「役場という組織としての慎重さは重々承知だし、仕方ないとも思う」と言いながらも、歯がゆさは感じていた。それでも役場の承認も経て販売を始めると、富士吉田や忍野、富士北麓エリアなどいろんな地域から「SNS見て来ました」とわざわざ足を運んでくれる人が現れた。


活動を通じて見えてきた川村さんなりの山中湖村の課題が一つある。「SNSからの広がりとか、外へ出していくスピード感や爆発力がまだまだ難しいなって。山中湖村って、口コミでしか広がらないのかなっていうくらい、少し独特な雰囲気がある」と話す。
規格外のダリアを買いに来てくれた人たちの多くが、村外からSNSを見てやってきた一方で、「山中湖村の人は滅多に来ない」と川村さんは苦笑する。「この冬に村内でこういう活動してますって言ったら、地域おこしっていたんだ。ダリア育ててたの?」って言われるくらいに。
そこで取り組み始めたのが、LINEオープンチャットを使ったコミュニティ「山中湖村~自然でつながるコミュニティ~」の運営だ。規格外のダリアを通じて縁ができた人や、インスタをフォローしてくれた人、地域で繋がった人たちを集めている。
最終的な目標は、山中湖村に行こうと思う機会を増やすこと。「近隣だからあえて行かないよねっていう人も、なんか気軽に来る場所になれるように」を大事にしている。2026年1月には参加者が100名を突破した。

今年、着任2年目に入り、川村さんは新たな挑戦を始めた。村から農地を借りて、自分一人で運営する栽培場をオープンする予定だ。市場出荷のためではなく、収穫体験やワークショップ、学校教育と連携した職業体験など、ダリアを「体験する場所」として開放することをコンセプトにしている。
この栽培場では「小規模就農モデル」と名づけた実証実験も行う予定。「副業レベルでも実現可能なダリア栽培の関わり方」をテーマに、知識がなくても、コストを抑えても、働きながらでも関われるダリア栽培の方法を自ら体を張って試す。背景にあるのは、1年目に感じた危機感にある。
「今後、本格的にダリアを村の特産品として盛り上げていくには、担い手がいないとダメだなって。環境だけいくら揃ってても人がいないとダメだなっていうのはすごく感じていて」

うまくいけば、その成果をマニュアルなどにまとめて村に還元し、新規就農者を増やし、将来的には流通量を増やしていく。そんな青写真を描いている。
「村内の飲食店の人たちとも連携して、山中湖村にダリアが当たり前に飾られて、名実ともに花の村になっていくストーリーが出来上がったらいいな」と話す。
「私自身が、栽培人になりたいかっていわれたらそうではないな、とも思っていて。どっちかというと、栽培してる人たちと関わりながら、その良さを地道に外に広めていくことに面白さを見出したい」という。
川村さんが目指すのは、花を育てることそのものではなく、花を介して人と地域をつなぐハブになることなのかもしれない。

川村さんに山中湖村の魅力を聞いてみると、言葉がとまらない。
「2月に来た時は植物も咲いてないから、自分で想像するしかなかったんですけど、移住して、花の都公園近くを通りながら通勤してると、四季折々の花と山が本当に綺麗で。シンプルに私にとっては最高の癒し」
通常、都内などでは数週間しか見られないアジサイが8月まで咲いている事実にも驚き、「お花好きからしたら、こんなに長く楽しめるんだって」と感動した。

そして、村の人たちの温かさも魅力の一つ。「義理と人情で生きてるのかなっていうぐらいの助け合い精神で、一回輪の中に入ればすごくよくしてくれる」という。消防団員が深夜でも現場に駆けつける。雪が降れば、迅速な除雪作業が行われる。「山中湖の除雪は早くて綺麗だね」という近隣地域からの言葉もあった。
村の人たちが一丸となって村のことに関わっている。「都会にはない、みんなで暮らしていこうよっていう感じが、温かさを感じて心地いい」と話す。
「仕事で煮詰まったら自転車に乗って湖畔をふらって走って、富士山見て、いい空気吸って、帰ってくる。それだけでリフレッシュになる。自転車漕いでるだけであんなに幸福感高いのは、人生で初めて」という。
「さきさんって『幸せ』と『最高』って、普段から結構言ってますよね」と、取材の終わりに、そんな言葉が自然と出てきた。

山中湖村を「花の村」にするために、これから川村さんが果たす役割はとても重要である。担い手を増やし、村内での認知を広め、外から人を呼び込み、流通量を増やしていく。川村さんが描く青写真は大きく、その全部に彼女を象徴とする「花」が関わっている。
それでも、川村さん自身は「私が目指しているのは、栽培人になることじゃない」とはっきり言った。花を育てる人たちの傍に立ちながら、その良さを地道に外へ広めていく。そのハブとしての役割にこそ、自分の面白さや可能性があると知っているからだ。
「花以外ないんか?」っていうくらい花まみれの彼女は、花の専門学校へ進み、ウェディングの装花を手がけ、フリーランスで花屋を営み、そして花によって引き寄せられるように山中湖村へとたどり着いた。その軌跡は決して一直線ではないが、振り返れば常に花が中心にある。
好きなものを原動力に、見知らぬ土地に根を下ろし、その土地ごと好きになっていく。その一連の流れを、まるで当たり前のようにやってのける姿は、「地域に関わるきっかけ」を探している人にとって、静かで力強いひとつの答えのように映った。
山中湖村のダリアが、これから先、どんな花を咲かせ、どんな人の心を癒すのか。川村早紀さんという人がいて、この村で花を育てていたという物語が、次の誰かを動かすきっかけになるかもしれない。
<川村早紀さんに関するSNS・情報はこちら>
note(個人):https://note.com/saki_312
Instagram(個人):https://www.instagram.com/saki_0312__?igsh=b3d6NWYwNHZzOHBr
Instagram(山中湖花の都公園):https://www.instagram.com/hananomiyako_flower_park/
取材:鈴木斗樹
執筆:萬里小路 忠昭