
Local Quest Labの活動拠点である山梨で活動する人・企業・団体等へのインタビューを通じて、地域内外の人たちに「関わる」「暮らす」「働く」「旅する」「学ぶ」のきっかけ(接点)と地域とのつながり(循環)をつくるプロジェクト「Local Quest YAMANASHI」。
富士吉田市・本町通りに店を構える秋政商店。昭和6年創業のこのお店は、鰹節の製造販売に加え、野菜や果物、カット野菜・カット果物の卸売小売も手がけてきた、まちの変化とともに歩んできた商いの場だ。
現在、その家業に新しい風を吹き込んでいるが、3代目の娘・秋山結さん。東京で会社員として働きながらUターンし、バックオフィスや広報、マルシェ出店を担う中で見えてきたのは、「店を続ける」だけではない、地域との新しい関わり方だった。
秋山さんの話を聞いていると、秋政商店のこれからは、単なる老舗のリブランディングではないのだとわかる。そこにあるのは、鰹節や野菜を売ることを超えて、人が出会い、言葉を交わし、孤立せずに地域で生きていくための「接点」をつくろうとする意思だ。
秋政商店は、だしを扱う店であると同時に、富士吉田の空気をやわらかく混ぜなおす装置になろうとしているのかもしれない。
秋山 結(あきやま ゆい)さんのプロフィール
山梨県唯一の鰹節屋の娘で、東京でサラリーマンもしている傍ら、実家の家業の営業、広報、イベント担当をしている。現在は実家の魅力をSNSにて発信中。

秋山さんは富士吉田生まれ、富士吉田育ち。高校卒業後に上京し、大学進学を経て、東京で営業職、人材業界とキャリアを重ねてきた。Uターンしたのは2025年2月ごろ。
現在も会社員としてテレワークで働きながら、秋政商店ではバックオフィス、人事、広報、マルシェや催事対応を担っている。いわば「二足のわらじ」だが、そのどちらも中途半端には見えない。むしろ、外で得た経験があるからこそ、家業の中で自分が果たせる役割が明確になっているように映った。
印象的だったのは、秋山さんが最初から「家業を継ぐため」に外へ出たわけではない、ということだ。けれど、父の背中を見ながら育つ中で、いつか自分も何かを担うなら、まずは外の世界を知るべきだと考えていた。父は大学卒業のタイミングで家業に入り、会社員経験がないことを後悔していたという。

そのため、秋山さんには、子どもの頃から「まず社会に出ろ」「人に使われる経験をしてこい」と伝えていたそうだ。営業を学びたいと思って金融系の営業職へ、そして、人や組織の仕組みを知りたいと思って人材業界へ。遠回りに見える選択は、実はずっと家業の未来につながっていた。
秋山さん自身は「私は大したことをしていない」と控えめに話す。けれど、地方の家業や個人商店において、外で働いた経験を持つ家族が一人入ることの意味は小さくない。営業、採用、広報、仕組み化。そうした機能は、毎日の商いに追われる現場では後回しになりがちだ。
秋山さんが持ち帰ったのは、派手な改革ではなく、商売を次の世代へ手渡すための土台を整える視点なのだろう。

秋政商店の始まりは、1931年。公式サイトによると、初代は静岡県沼津市で漁師から魚を仕入れ、鰹節に加工する家に生まれ、その鰹節を削って販売する店を富士吉田に開いたという。
秋山さんの話でも、ひいおじいさんが静岡から山梨へ移り住み、鰹節や煮干し、昆布などを扱う乾物屋として店を始めた経緯が語られた。
その後、2代目は時代の変化を見ながら、野菜や果物、生活雑貨なども扱うようになった。スーパーのない時代、乾物も野菜も一緒に買える店は、地域の暮らしにとって便利な存在だったのだろう。

やがて小売だけでなく、配達や卸へと広がり、3代目の代ではカット野菜やオンライン販売にも着手。今の秋政商店は、鰹節屋であり、八百屋であり、卸業者でもある。ひとつの看板におさまらないのは、この店が変わらないために変わり続けてきたからだ。
秋山さんの話からも、秋政商店の歴史は「守る歴史」というより「合わせていく歴史」として立ち上がる。乾物屋として始まり、八百屋としての機能が強くなり、一時は鰹節が前面に出ない時期もあった。そこに再び鰹節を押し出したのは、お母さんの存在だったという。
秋政商店は最初から一本の美しいブランドストーリーで続いてきたわけではない。家族がその時代ごとの必要に応答しながら、商いのかたちを変えてきた。その柔らかさこそが、老舗としての本当の強さなのではないかと感じる。

秋山さんが秋政商店の新しい可能性に手応えをつかみ始めたのは、マルシェ出店を始めてからだ。きっかけは、富士吉田のコミュニティマーケット「氷室どよう市」への出店だった。
そこから銀座や世田谷などにも販路を広げ、今では出店のたびに秋山さん自身が立つようになった。ただ、マルシェで得たものは売上だけではない。むしろ大きかったのは、「秋政商店が地域の人に思っていた以上に知られていなかった」と気づいたことだという。
「まだやってたんだ」「何の店かわからなかった」「入りづらい」「小売をやっていないと思っていた」といろんなことを言われた。長年その場にある店でも、そこに在ることと届いていることは違う。秋山さんはその現実を、真正面から受け止めた。

一方で、面白い発見もあった。秋政商店には、地元の人だけでなく、東京・神奈川・千葉など県外から来るお客さんが以前から多かったという。ホームページやGoogleマップを見て、「山梨観光の途中で見つけたから」「富士山を見に来たついでに、いつも使うものが売っていたから」と立ち寄る人がいる。
秋山さんにとって、秋政商店は日常の買い物をする場だった。だからこそ、「観光の目線で来る店なんだ」という事実は驚きでもあった。けれど、その驚きが、店の立ち位置を考え直すきっかけにもなった。日常の食と観光の接点になれる店。秋政商店には、そんな独特のポジションがすでにあったのだ。
さらに、出店を重ねるなかで、農家の厳しい現実にも目を向けるようになった。仕入れ値と販売価格の差、手間に対して報われにくい構造、なり手不足。八百屋として商売をしてきた家だからこそ、そこを「他人事」にしてはいけない。
秋山さんはいま、農家との直接的なつながりを増やし、仕入れのあり方も見直していけないか模索している。秋政商店の再編集は、店のブランディングだけでなく、地域の生産者との関係性を組み替える作業でもある。

今回のインタビューで、秋山さんが語った「友達がいなかった」という率直な言葉はとても印象的だった。Uターンして気づいたのは、同世代の知り合いがほとんどいないこと。移住者もいる。でも、つながりを作れずに帰ってしまう人が少なくない。
自分も同じだった、と秋山さんは振り返る。友達がいない。気軽に飲みに行ける場所もない。特に女性が一人でふらっと行けるような場所が少ない。だからこそ、「一人でも行ける場所」が必要なのではないかと考えるようになった。
その感覚の原点には、秋山さん自身の記憶がある。商店街の真ん中で育ち、子どもの頃は地域の孫のように周囲に育てられてきた。関係のない近所の大人からお年玉をもらい、「行ってきます」「ただいま」が通りのあちこちで交わされる。賑やかではなくても、人の気配があるまちだった。

けれど、時代が進むにつれ、店は減り、高齢化が進み、古くからいる人と新しく来た人の間に見えない溝みたいなものが生まれた。店は増えても、まちの回遊性や関係性はむしろ分断されているように見える。秋山さんの問題意識は、そんな原風景と現在との落差から生まれている。
だから、秋山さんがつくりたいのは、移住者向けのコミュニティでも、地元住民だけのたまり場でもない。「みんなで会おうよ」と言える場だ。移住者がつくれば、移住者のための場と思われてしまうかもしれない。地元だけで閉じても、また別の壁ができる。
そうではなく、秋政商店という既にある場所をひらくことで、誰が来てもいい、なんとなく混ざれる、そんな空気をつくりたい。そこには、商品以上に大事なものが流れている。だしの香りのように、目には見えなくても、人の緊張をほどいていくものだ。

2026年1月には、富士吉田アントレプレナーキャンプのピッチコンテストが開催され、秋山さんもそこで、秋政商店の歴史と自身の問題意識を重ねた構想を発表した。すでにその構想は具体化し始めている。
規格外野菜を生かした「飲むだし」、鰹節削り体験、そして商店街に人の流れと会話を生む場づくり。クラウドファンディングのメッセージにも、「静かになった商店街に、もう一度、みんなが集まり笑い合える場所をつくりたい」という思いがまっすぐに書かれている。

この構想が面白いのは、地域課題を正しさで解こうとしていないところだ。孤立、食のロス、観光と暮らしの分断、移住者と地元住民の距離。どれも重たいテーマだが、秋山さんはそれを、まず一杯のだしやひとかけの会話、ふらっと立ち寄れる場からほぐそうとしている。
大きな施設をつくるのではない。新しい肩書を掲げるのでもない。すでにある店、すでにある通り、すでにある営みを使って、「関わりしろ」を増やしていく。その発想は、とても商店街的で、とても実践的だ。

秋政商店は、鰹節屋であり、八百屋であり、地域の食を支える卸の店でもある。そしてこれからは、人と人、人と地域が出会い直すための場所にもなっていくのかもしれない。
富士吉田で暮らす人、旅で訪れる人、新たに移り住んできた人、そして偶然その前を通りかかった人。だしの香りに誘われて足を止め、言葉を交わし、その出会いがまた次の誰かや、このまちとのつながりへと広がっていく。秋山結さんが描いているのは、そんな小さくとも確かな接点と循環である。
私たちLocal Quest Labは、地域との関わりは、特別な目的や大きな決意から始まるものばかりではないと考えている。ひとつの店を訪れること、そこで誰かと話すこと、その人の営みや思いを知ること。そうした何気ない体験が、地域を知り、関わり、再び訪れるきっかけになっていく。
家業の未来を考えることが、商店街の未来へとつながり、やがてまちの未来を考えることへと広がっていく。秋山さんの挑戦は、長く続いてきた商いを守るだけでなく、そこに新たな人の流れと関係を生み出そうとする営みである。
だしの香りが人を呼び、人との出会いがまちとのつながりを育てていく。秋政商店から始まるこれからの循環を、私たちも楽しみに見つめていきたいと思う。
<秋山結さん・秋政商店に関するSNS・情報はこちら>
ホームページ(秋政商店):https://akimasa-1931.com/
Instagram(秋政商店):https://www.instagram.com/akimasa1931/
取材:鈴木斗樹
執筆:萬里小路 忠昭
取材日:2026年3月17日